Mahora稲穂山とは
01|ひと山まるごと、Mahora稲穂山。
埼玉県秩父郡皆野町。
約9万坪のひと山をフィールドにした、Mahora稲穂山。山を歩く。季節の花を眺める。
ものをつくる。アートや音楽にふれる。
キャンプをする。ご飯を食べる。
景色を眺めながら、何もしないで過ごす。ここは、自然だけを楽しむ場所でも、
決まった遊び方のあるテーマパークでもありません。人と自然、人と人が出会い、
それぞれの時間を過ごせる里山です。02|人が集う山をつくる。
自然の中に、もう一度、人が集う場所を。
かつて、山は暮らしのすぐそばにありました。
薪をとる。
落ち葉を集める。
山菜を採る。
木を使う。里山は、人が暮らすために山へ入り、手を入れることで、その環境が保たれてきた場所です。
しかし、高度経済成長とともに、人々の暮らしは大きく変わっていきます。
燃料や生活資材を山から得る必要が少なくなり、仕事や暮らしも山から離れていく。人が山に入らなくなると、これまで人の手によって保たれてきた里山も、少しずつ姿を変えていきました。
暮らしの中にあった山は、いつしか人々にとって遠い存在になっていきました。
Mahora稲穂山の始まりは、約60年前。
複数の所有者から管理しきれなくなった山を買い、
一人の「花咲か爺さん」が、この山に入りました。草を刈り、道をつくり、木を育て、花を植えました。
でも、つくりたかったのは
ただ花を見るための公園ではありませんでした。山を散策する。
自然にふれる。
ものづくりを体験する。アートを見る。
音楽を聴く。
映画を楽しむ。自然の中に、人が集まり、
それぞれの楽しみ方で時間を過ごせる場所をつくる。そのために、山の中には少しずつ、
人が集える施設や場所がつくられていきました。03|人と自然と文化が、一緒にある場所。
この里山には、自然だけではなく、
ものづくりや食、アートなど、人の暮らしと共に育ってきた地域の文化があります。山を歩きこの土地の植物を見たり、
地域のご飯を食べたり、
森の中で飾られているアートに触れたり、
手を動かして糸から布を紡いでみたり。私たちにとっては、どれも同じ「里山で過ごす時間」です。
自然と文化を分けるのではなく、
一緒に楽しめる場所でありたい。
それは、この山がつくられた頃から、
今のMahora稲穂山にも続いている考え方です。04|民間だからこそ、できること。
この山は、民間で運営しています。
Mahora稲穂山は、行政が管理する公園ではありません。
約9万坪の山を、自分たちで手入れしながら運営しています。
道を整えること。
木を管理すること。
建物を直すこと。
売上を作ること。
新しい楽しみ方を考えること。大変なこともあります。
でも民間だからこそ、
「こんなことをやってみたい」というアイデアを、
この山で試すこともできます。キャンプ場をつくったり。
新しい体験を始めたり。
誰かの挑戦の場所になったり。完成された公園を守るのではなく、
時代に合わせて、この山の使い方そのものを育てていく。
05|「ムクゲ自然公園」から「Mahora稲穂山」へ。
Mahora(まほら)とは、太古より続くすばらしい場所。
「まほら」とは「まほろば」と同じで、すばらしい場所、住みやすい場所を意味する古語です。
2021年1月から、それまで親しまれていた「ムクゲ自然公園」という名前から、みんなで守り伝えていくという想いを込めて、山のもともとの名前(稲穂山)と合わせて「Mahora稲穂山」と改名いたしました。
素晴らしい場所、住みやすい場所というのは、時代とともに変わっていくもの。
だからこそ、時代と暮らしの本質を見極めながら、求められる役割を理解し、変化していく里山として、Mahora稲穂山は挑戦をしていきます。

06|山を受け継ぐ。そして、また育てる。
山は、完成しない。
山は、生き物です。
木は育つ。
草も育つ。
しかし、建物は古くなる。
人も変わる。
社会も変わる。
私たちは、自然とともに、どう生きるかを日々、問われています。
過去のやり方をそのまま残すのではなく、祖父が始めた「山に人が集う」という思想を受け継いで、
今の、そしてこれからの時代に合う形にこの里山を育てていきたいと思っています。

この山を、次の100年へ。
一人から始まった山づくりは、
今、たくさんの人が関わる山づくりへと変わり始めています。
遊びに来る人。
泊まりに来る人。
山を整備する人。
ものをつくる人。
ここで何かを始める人。
これからの里山は、どうしたら続いていくのか。
私たちにも、まだ答えはありません。
だからこそ、この山をフィールドに、
いろいろな人と一緒に試していきたいと思っています。




